我流的人生告白

退屈な人生を送らないために、私生活及び思考を記録します。

高校生の時、2年間新聞配達をしていた

特に貧しかったという理由ではない。

 

自由に使えるお金が欲しかった。

 

とりわけ洋服に興味が有り、当時はB系ファッションという自身の適正サイズよりかなり大きいサイズのシャツやパンツを着こなすのが流行っていた。

 

B系ファッションの洋服は高い。シャツは一万円以上、Gパンは二万円以上かかる。通常両親より与えられる小遣いの額では到底足りない。

 

当時、身なりを格好良くしたいという思いが人一倍強かった。

 

中学時代の同級生が新聞配達をしており、彼は高校で部活を真剣に取り組みたいとのことだったので、中学卒業後は是非私がやりたいと懇願し、彼の使用していた配達用自転車と共に新聞配達の仕事を引き継がせて貰った。

 

仕事を引き受ける前に、親に新聞配達をしたいといったら、反対された。しかし、私は一歩も引かず、暴れ、強引に親の承諾を得た。

 

新聞配達の仕事は、1件あたり十円で毎朝百件配り、1日千円貰えた。月あたり約三万円の収入になる。

 

高校生で毎月三万円自由に使えるお金があったのでかなりリッチである。ブランドGUCCIの財布を愛用していた。

 

朝4時半に起き、配達は約1時間で終わる。

 

雨の日も台風の日も配達は休みがない。新聞は自転車の前カゴと後ろカゴに積んでいた。

 

新聞投函の為、脇に停めていた自転車が台風の風に煽られて倒れることもあった。

 

朝眠いので家から配達所に向かう途中、20m寝ながら自転車を漕ぎ、10m目を覚まし軌道修正、を繰返し移動するという器用なことをやっていた。幸い早朝の田舎の道路は車が通ることがほとんどなかった。

 

しかし、寝ながら自転車は危険で、一度縁石に両輪乗り上げたことがあった。

 

自転車が倒れることもなく、怪我もなかったが、両輪パンクした。その日はパンクした自転車を押しながら新聞を配達し、腰を痛めた。

 

そして、自転車をパンク修理に出したのだが、五千円程かかった。

 

パンク修理代は5日分の給料に相当し、寝ながら運転の金銭的、肉体的リスクの大きさを知った。

 

高校3年生は部活と勉強を頑張ろうと決めていたので、高校2年生の終わりで新聞配達を辞め、自転車と新聞配達の仕事を別の友達に譲った。

 

以下高校生の時新聞配達をしていたという記事の裏話です。

 

<渡された新聞が配る総枚数よりいくらか足りないことがある>
足りない時は配り終えた後、配達所に寄り、足りない為配れなかった家について連絡すると、別の配達のおじさんが原チャで私の代わりに投函してくれた。

 

<私が引き継いだ友達は朝に弱かった>
引継ぎのために配る家100件を友達に教えなければならないのだが、朝の集合場所に彼が来ることは稀で、とうとう引き継ぎ不十分のまま、彼に引き継ぐこととなった。後に配達所より私宛に若干のクレームがあった。 私に罪はないはず…

 

<年末はチラシを新聞に入れる臨時アルバイトがあった>
年始のチラシの量はスゴイので、バイトがあり日給一万円ほど貰えた。 雨の日は新聞が薄いシートに巻かれるが、防水性は弱かった雨が染込んで新聞が濡れることがあった。 配ってはダメなほど塗れた場合は後に配達所に寄っておじさんを召喚した。 たまに早朝の民家は不気味でビクビクしながら配達していた。基本私は臆病です。

 

<朝弁当を作る母親よりも早起きで、たまに母が起きて来ないので起こしていた>
毎朝眠そうな母親の姿がそこにあった。